「うーん。もう少し顔を上げて、あっ、そう、そう、その顔! いいよ! あっ、ちょっとその顔で静止してー」
その徹底的瞬間を逃すまいとあたしはがむしゃらにシャッターをきる。一場面だけでもざっと50回くらいはシャッターを押す。昔流行ったボタンゲームが得意だっただけある、だなんて考える自体あたしはもう若くない。
「えー! このまま静止っすか? ゲゲッ」
宙を見上げ被っていたキャップがちょうどいい具合に目を覆っている。斜め45度の顔は真正面から見るよりもいやに妖艶にみえる。
「いいよ! かっこいい!」甘ったるい言葉をささやきながらカメラを構えて写真におさめる。甘ったるい言葉は誰の顔も優しさで溢れさせる。『かっこいい』あるいは『かわいい』カメラマンはこの言葉を魔法の言葉だと信じて疑わないのだ。てゆうかあたしはそうだ。
「もう、いいよ。楽にして」
決めポーズをつくっていた『ヤシロくん』に声をかける。あー、明日まじで筋肉痛かもー、と、ヤシロくんは手で顔を覆った。細い指だし白い手。ごつい腕時計がいやに浮いている。「けど、」顔を上げたヤシロくんは話しを続ける。
「俺みたいな素人を撮っても楽しくないっしょ? さやかさんは。だって、」
「まって!」ヤシロくんがまだ話しているけれど遮って今度はあたしが続けた。
「素人だからいいの。だってなんていわないで」
「でも、」
でも、も、いわないの。あたしは少しだけ怒気を含んだ声でたしなめた。はーい、すんません、と、ヤシロくんは肩をすくめ、腹減ったなぁ、と、付け足す。
「何が食べたい?」
「さやかさん」
「ばか」あたしはふふふと、笑う。彼もクスクスと笑った。
ヤシロくんは『レンタル彼氏』だ。お金を出して買っている。時間と身体を、だ。23歳という若さ。細マッチョな色白のその身体。小顔だし色気がある。カメラマン(アマチュア)のあたしは主に人間を撮っていて気に入った人がいたら飽くまで撮り続ける。しかし、ヤシロくんだけはなぜだかまったく飽きないのだ。キスもするし、裸になって抱きしめあっていてもだ。
あたしはじき50歳に手が届こうとしている。
「飽きないの」
今夜は、肉が食べたい、と、騒ぐのでこじんまりした焼肉屋に来ている。焼くのはもっぱらあたしだ。この店は昔ながらの店で煙りがもんもんで目にしみる。
「飽きないよ。俺、肉食だもん」
「あ、うん、そうね。うん、あ、これもう焼けてるよ」
焼けたお肉をヤシロくんのお皿にのせる。うまい、うまい、その顔はほとんど小学生の男の子のようだ。育ち盛りか、胸中でつぶやく。
飽きないの、ってお肉のことをいったわけではなかった。あなたに飽きないの、そのつもりの言葉だった。彼は本当はわかっていたのかもしれない。けれど、重たい空気にはしたくないし、あたしはあくまでお客さんだ。常連のお客さん。
「あのね、もう一時間だけ延長いいかな?」
「えっ、」んー、ヤシロくんは顔を上げ、やや長考したのち
「すみません」
思いがけないこたえが返ってきた。「もう次埋まってるんですよ」
「そっか」そうだよね。急だったものね。かなしくなったけれど、そっか、以外の単語はいわなかった。
「今度はね、桜の下で写真撮りたいな、いい?」
「いいですよ。でも、早くしないと散ってしまいますよ」
ええ、そうね。あたしはもんもんの煙の前にいるヤシロくんを探す。ヤシロくんは焼肉屋でなくてもあたしにとってはいつも蜃気楼の中にいてそれでいて雲の上にいてまるで架空の人ようだ。
「また、店に連絡いれるわ」
「はい!」
好きになってはいけない。年齢とかではない。彼は『レンタル』なのだから。写真の中だけはあたしだけのもの。カメラマンで良かった。
この歳になって初めて自分の仕事をこころから好きになったし、人間を好きになる気持ちも知った。
男を買う。いや、あたしは心を買っているのだ。
「あ、すみません、カルビあと、2人前!」
彼は容赦なくよく食べる。
「飽きないの」
【女性用風俗小説29】~サクラ・サク~
